[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
信長、濃姫一行が清洲城に住まいを移した後も細かな改修は続けられ、暫くは落ち着かぬ日々が続いたが…
その年の十一月二十六日。
「──那古屋の織田信光様!御横死!」
突として舞い込んで来た悲報に、清洲城内は一瞬静まり返った。
濃姫もここ最近にはなかった落ち着きぶりで、使者がもたらした報に耳を傾けていた。
何でも信光は“不慮の事故”により、那古屋城で突如その生涯を終えたと言うのである。
信光にとっては絶頂期とも言える今の時分での急死──
濃姫は怪訝の色を隠せなかった。https://rty4fp.webmepage.com/carina-cyril/blog http://kotone22.blogaholic.se/2021/may/111960/2018126041123941235612397/ https://suzanwines.blogspot.com/2024/07/blog-post.html
これは後に三保野がどこからか仕入れて来た話だが、実は、信光の正室・松平氏と密かに情を通じていた重臣・坂井孫八郎が、
奥方との不義が信光に知られるのを恐れて、信光を斬り殺してしまったというのである。
なるほど、それなら不義密通の露見を恐れた故の謀反による死という事になるが、何せ時期が時期である。
口さのない者たちの中には
「これはきっと、織田家を早々と統一なされたい信長様による暗殺であろう。信光様の力がこれ以上強大になれば、信長様もいつお命を狙われるか分からぬからのう」
と、笑いながら言う者もあれば
「いや違うね、これは弟君の信勝様を擁立しようと企む一派の暗殺であろうよ。いつまでも信光様の後ろ楯があっては、信長様を討ち取る妨げになるからな」
と憶測を並べる者もいた。
だが濃姫は信じなかった。
どれもこれも確証のない話である。
少なくとも我が夫は、例え信光に何らかの思惑があったとしても、一戦も交えずして、
長らく支持者であった実の叔父をこのような形で謀殺するような男ではない。
それほどに情けない人間ではないと、濃姫は信じたかったのである。
しかし、付け加えるように三保野から
「亡き守護代・信友様がその腹を召される前に、信光様に申したそうでございます。
偽りの起請文をしたためた神罰がいずれ下ると、天道に背いた者は必ず自分のようになるのだ、と」
「信友様が !?」
「はい。故に信友様ご切腹の場に居合わせた者たちは皆、信友様の祟り、天道に背いた報いじゃと申して恐れおののいたと聞き及びまする」
「…報い……」
この話を伺った時は、さすがの濃姫も自身がその助言者であるが故か、その華奢な肩を大きく上下に震わせた。
そしてふいに、道三や義龍、孫四郎、喜平次の顔が光の点滅の如く刹那的に脳裏に浮かんだのである。
何故 信長よりも先に美濃の親族たちの顔が浮かんだのか、この時の姫には分からなかった。
ただ、兼ねてよりの不安が現実のものとなったら…。
神罰というものが本当にあるのだとしたら…。
氷のように冷たい汗が、背中を這(は)うように流れ落ちてゆく心地の悪さに、濃姫は苦悶の表情で耐えているのだった。
──清洲城が那古屋城に比べて格段に豪奢で格調高いのは言うまでもなかった。
それが信長の大掛かりな改修によって、城内はこれまでにも増して宏壮な構えとなり、
御門も南北に位置する櫓も、すっかり新城主の趣へと変化したのである。