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「ここで懸念を露にして、目の前の好機をみすみす逃すような真似は儂には出来ぬ。罠があろうが無かろうが、
儂は稲葉山城を次なる居城とするべく進軍し続けねばならぬのじゃ。……父・信秀の満願を果たす為、
そして、故郷の地を再び踏みたいと望んでおる我が妻・濃の為にも、必ずや美濃を勝ち取ってみせようぞ」
その黒い瞳に闘志をみなぎらせながら、信長は決意的に申し述べるのだった。
この宣言通り、信長は三人衆の申し出を受け入れると、直ぐ様 人質を受け取りに島田秀満、村井貞勝の二人を向かわせた。
それと同時に、信長は急ぎ兵をかき集めると、稲葉山城を目指して早々に美濃へと出陣。
稲葉山城と山続きになっている瑞龍寺山へ駆け上がり、本陣を構えたのである。
『 ここまでの道のりを阻む者なく進んで来られたとはな…。やはり、守就らの内応は嘘ではなかったようじゃ 』
信長が安堵を得ている一方、稲葉山城の龍興は完全に追い詰められていた。
美濃三人衆に裏切られた挙げ句、頼みとする援軍もないのだ。
信長が瑞龍寺山に陣を置くと https://truxgo.net/blogs/78402/1603384/ru-he-yu-ni-de-xing-qu-dui-xiang-yi-pai-ji-he-ni-de-xue-zhe-dian https://angelsdirectory.com/?????_337346.html https://ladies.discuss.com.hk/viewthread.php?tid=31659784&extra=&frombbs=1
「あ…あの軍勢はいったい、どこの者たちなのだ!?」
「敵軍であろうか…?」
「いや、まだ分からぬ。もしかしたら味方やも知れぬ!」
と、龍興側は戸惑いを露にしたという。
その隙に信長の軍は、稲葉山城の城下町・井口まで攻め入り、町々に火を放っていった。
この日は殊の他 強風だったこともあり、火のまわりが早く、稲葉山城はあっという間に裸城同然となったのである。
翌日。信長は土木工事の分担を指示し、稲葉山城の四方に鹿垣(ししがき)を作って城を包囲した。
ここでようやく、就守たち美濃三人衆が駆け付けて来たが
「…これは、何たること…」
「この僅かな間で、もう城を取り囲んでしもうたのか…」
そのあまりの行動の早さに、三人は肝を潰すほど驚きながらも、信長へ鄭重に挨拶したという。
この信長の早技に驚いたのは、稲葉山城内の龍興も同様だった。
『 ……かような状況下で、どうやって織田方に立ち向かえというのじゃ。頼みとする援軍もないのだぞ 』
『 かと言って、このまま城に籠ったところで収容出来る兵力はごく僅かじゃ。攻め込まれれば最早勝ち目はあるまい… 』
策も兵も持ち合わせていない龍興は、己の無力さに絶望を感じざるを得なかった。
こうして翌日の八月十八日。
稲葉山城の将兵たちは、織田軍に降伏。
城主・龍興は稲葉山を駆け下り、城下に流れる長良川から船に乗り、北伊勢の長島へと亡命したのである。
こうして、道三から三代に渡って美濃を支配してきた戦国大名としての斎藤家は滅亡した。
信長が今川義元を桶狭間山にて討ち取ってより、七年後のことである。
信長の美濃平定の知らせは、直ちに濃姫らの待つ小牧山城にも届けられ、表も奥も主君の勝利に大いに歓喜した。
だが素直に喜びに浸っていられたのは、ほんの束の間のことだった。