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テーブルの奥には、一口だけ減ったカフェモカ。
初対面で心配されるほど、肌がボロボロなのだろうか。
昨日までの体調不良が、肌に表れているのかもしれない。
「気をつけます」
男性がゆっくりと頷いた。
それから、私は一日おきくらいに『エデン』に通った。
おじいさんには会えたり会えなかったりだけれど、会えた時は一緒に食事をした。
オーナーさんとも店員さんとも気軽にお喋りできるようになった。
オーナーさんは
「病院? 楽さん、どっか悪いの?」と、昌臣くんがテーブルの横にしゃがんだ。
「どこも悪くは……」
そう言ったものの、最後までは言い切れない。
気づいていながら、目を背けていた。
違う。
期待を裏切られたくなかった。
私はグラスを置き、そっとお腹に手を添えた。
「その様子だと、受け入れているようだな」
私はキュッと唇を結び、小さく頷いた。
「え? なになに? 楽さん、病気なの?」
「違うよ。楽さんは妊娠してるんだ」
昌幸さんが昌臣くんの頭にポンと手を載せた。
「妊娠?! マジで?」と、昌臣君が私の顔を覗き込む。
「ああ」
「昌幸が良縁に恵まれたかと思ったんだがなぁ」と、おじいさんが呟いた。
「最初っから、楽さんが妊娠してるから様子を見てるように言ってきたくせに」と、昌幸さん。
それを聞いて、呑気にお店に通っていたことを申し訳なく感じた。
「すみません、ご迷惑を――」
「――全然迷惑なんかじゃないよ? 大事なお客様だしね。楽さんの様子が気になったのは、じーちゃんの職業病みたいなもんだし。俺だって、ホントに見てるだけだったし」
「それでも――」
「――あれ? 楽さん、結婚してないって言ってなかったっけ? ――って! なにすんだよ!」
パコンッ! と清々しい音が店内に響く。と同時に、昌臣くんが両手で頭を抱えた。
昌幸さんが昌臣くんの頭をトレイで叩いたのだ。
「お前はデリカシーって言葉を知らねーのか!」
「はぁ? 俺はただ、結婚してないなら、兄さんにもチャンスが――って! だから痛い!!」
もう一度、パコンッ! と響く。
頭のてっぺんは昌臣くんの手があるから、今度は後頭部。
「ごめんね、楽さん。こいつの言うことは気にしないで――」
「――くくっ!」
兄弟のやり取りを見ていた私は、堪らずに声を上げた。
「ふふふっ……。ふふっ――」
「――楽さん?」
「ご、ごめんなさい。……だけど、だって……くくっ! すごくいい音がして――」
お腹を抱えて笑う私を三人が目を丸くして見ている。
笑っているうちに、涙が滲んできた。
こんなに笑うのはいつ振りだろう。
ずっと、苦しかった。
突然の事故から、ずっと。
悠久と一緒にいた時も、こんな風に声を上げて笑うことはなかった。そんな余裕はなかった。
幸せで楽しかったけれど、心のどこかで終わりを覚悟していたから。
それはきっと、悠久も同じだったと思う。
だって、高校生の頃の悠久は、良く笑っていたから。目を細めて、声を上げて、心から楽しそうに笑っていた。
彼の笑顔が、好きだった。
「――ふふっ。……ふ……」
悠久の子供がお腹にいる。
きっと、いる。
この子との出会いが、私の生きる希望になる。
この子がいてくれたら、私は笑える。
「医者人生の最後に、楽さんの子供を取り上げたいねぇ」
おじいさんの言葉に、涙が溢れた。
「よろしくお願いします」
産まない選択肢はなかった。
「――ねぇ! 聞いてるの!?」
雑音でしかない甲高い声に、俺は歯を食いしばった。
「あの家政婦! 私に少しは運動しろとか言うのよ!? 偉そうに! 私は明堂家の大事な跡取りを妊娠しているのよ? 何かあったらどうするつもりなのかしら! 食事も、マズいし!!」
うんざりだ。
目の前の書類に集中できない。
中東で反政府デモが起こり、輸送が遅れている。
このままでは、多額の損失を出してしまう。
「あの家政婦はクビにして! もっとベテランの、雇い主に口答えなんかしない人を雇ってよ! あと、ベビーシッターも! 生まれてから決めたんじゃ遅いわ。ただでさえお腹が重くて眠れないんだから、生まれた後はゆっくり眠りたいの」
なんとかして、納期に間に合わせなければ。
「悠久も! いい加減マンションに戻ってよ。身重の妻を一人にするなんて、夫婦仲が悪いと噂にでもなったらどうするのよ!」
実際に悪いんだから問題はないだろう。
「子供の名前も考えなきゃ! お義父様にはつけさせないでよ。古臭い名前なんて嫌よ!」
俺はキラキラネームの方がよほど嫌だが、関係ない。
俺の子じゃないのだから。
「明堂貿易の後継者なのよ? 時代に合った、インパクトのある名前じゃなきゃ!」
安心しろ。
その子が明堂貿易を継ぐことはない。
こんな会社、俺がぶっ潰してやるんだから――!!